「では、友よ、それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。
				そこにいたる方法とはなんであろうか」
				「友よ、かの聖なる八支の道こそは、それらの無明を捨て去っ
				てしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正
				業、正命、正精進、正念、正定である。友よ、これが、それら
				の無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なので
				ある」
				
			「友よ、この無明を捨て去ってしまう道は、まことに善い。そ
				こにいたる方法は、まことに素晴らしい。友サーリプッタよ、
				それはまた勤めはげむに足る」
				
				   *増谷文雄「阿含経典」(筑摩書房)第3巻 267頁より抜粋
			
■■■■■■■■■■■■■■■■長老サーリプッタにいった。
				
			■■■■■■■■■■無明、無明といわれるが、■■■■■■
				■■無明とはなんであろうか。
				■■■■■■■苦についての無智、苦の生起についての無智、
				苦の滅尽についての無智、■■■■苦の滅尽にいたる道につい
				ての無智、■■■これ[四つの智慧が生じていないこと]を■■■無明という■■■■。
				
			■では、■■■それらの無明を捨て去ってしまう道があるだろ
				うか。そこにいたる方法があるであろうか。
				■■■■それらの無明を捨て去ってしまうには道がある。そこ
				にいたる方法がある■■■■。
				
			■では、■■■それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。
				■■■■かの■■■八支の道こそは、それらの無明を捨て去っ
				てしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、正語、正
				業、正命、正精進、正念、正定である。■■■これが、■■■
				■無明を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである。
				
			■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
				■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
				■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
			
#9 <無明> −3
			
ある時、ジャンプカーダカなる遊行者が、長老サーリプッタに
				言った。
			
無明、無明といわれるが、無明とはなんであろうか。
			苦についての無智、苦の生起についての無智、苦の滅尽につい
				ての無智、および、苦の滅尽にいたる道についての無智、(四
				つの智慧が生じていないこと)を無明というのである。
				
			では、それら無明を捨て去ってしまう道があるだろうか。そこ
				にいたる方法があるであろうか。
				それらの無明を捨て去ってしまう道がある。そこにいたる方法
				がある。
			
			それらの無明を捨て去ってしまう道とはなにか。そこにいたる
				方法とはなんであろうか。かの八支の道こそは、それらの無明
				を捨て去ってしまう道である。それは、すなわち、正見、正思、
				正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。これが、無明
				を捨て去ってしまう道であり、そこにいたる方法なのである。
			
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
			
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
			八正道は、無明を捨て去る■■■■道、すなわち、正見、
				正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。
			
#9 <無明> −essenceには、重大な誤りがあります。(永
				野)
				
			無智と無明は異なります。
			
四つの智慧が生じていないことは無明ではありません。無智で
				す。
			無智は、未だ、正見(四つの智慧)が生じていないことです。
				
			無明は、未だ、四つの真理を理解していないことです。
				
				四つの真理を理解していないことを、無明といいます。
				
			八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、正語、
				正業、正命、正精進、正念、正定である。
			
				
				#9 <無明> −essence を書き替えます。(永野)
#9 <無明> −essence (永野)
22> 無智と無明は異なります。
23> 無智とは、正見(四つの智慧)が生じていないこと。
24> 無明とは、四つの真理を理解していないこと。
25> 八正道は、無明を捨て去る道、すなわち、正見、正思、
				    正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。